ーいまがイチバンしあわせー

サレ妻からのシンママになりまして

結婚5年目から不倫発覚まで じゅんの結婚生活2

じゅん
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はじめまして!! じゅんです。 結婚7年目にして夫の不倫が発覚 夫はその日から家を出て行き現在行方不明。 辛い毎日と思いながら生きて行く事をやめよう!と思い初め、同じ境遇で悩んでいる人たちに自分の経験から役立てる事があったら伝えたいと思いブログを作りました。 只今調停真っ最中。 経過をブログにアップしながら離婚の進め方など、お役立ち情報を届けたいと思います。
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こんにちは。
じゅんです。
今回は前回の続きで私の結婚生活についてもうちょっとお付き合いしていただきたいと思います。
夫の母が登場します。


不倫発覚後の夫の両親の言動って気になりませんか?

 

気になる。てか、オレ、あのばーさん嫌いだし

こっちゃん

 

そうだね、こっちゃんは沢山姑にやられたもんね涙

じゅん

姑は不倫体験談の記事でこれからちょこちょこブログに登場する予定です。

ではでは、今回のじゅんの結婚生活2(不倫体験談2)、時系列で見てみよーっ!!

 

 

2015年 10月    妊  娠

      11月  両親に報告

2016年  1月       帯状疱疹にかかる

       3月  第二回目家族会議

              6月       息子誕生

 2017年   6月   不倫発覚

 

 

妊娠しました

結婚6年目でようやく授かった息子。

妊娠するまでに6年の歳月がかかり、妊娠した時は私も夫もとても嬉しい気持ちでいっぱいでした。

でも同時に不安な事もありました。

両親への報告です。


結婚当初から私の両親は孫を切望していましたが、なかなか良い報告を出来なかった私にいつしか、


『子供はいなくても夫婦が仲良ければいい』


『こっちゃんが子供だもんな』

などとちょっと励ましとも取れる言い方をされるようになりました。

 

オ レ な っ !!

こっちゃん

 

 

 

そして、夫の親はすでに孫が2人いたということ、夫の前妻との間にも女の子がいたので、私たち夫婦には子供はいらないと思ってたみたいです。

 

報告をした時の私の両親の反応も怖かったし、おめでとう。って祝福されないかもしれない。

そう思うとなかなか報告する事ができませんでした。

 

おめでとう!!と泣きながら喜んでくれた両親

 

妊娠した事が分かってから1ヶ月が経っても言えずにいてつわりが酷くなってきた頃、

夫がしびれを切らして私の両親に話すと言い始めました。

夫から「話があります」と言われた私の両親はちょっと不安げな顔をしてましたが、お腹に赤ちゃんがいる事を伝えると

 

 

びっくりした母は、手ばたきをして大きな声で「おめでとー!」と喜び、

父は「やっとお前の子供が抱ける」と笑いながら泣いていました。

 

 

 

あぁ、こんなに喜んでくれるなんて、ずっと待っていたんだ。

私は嬉しさと気持ち悪さとちょっぴり恥ずかしさとで絵に描いたような「てへへ」をしました。

 

喜ばれなかったこと

私の両親が大喜びをしてくれた事に安心をしたのか、その勢いで夫は自分の両親をご飯に誘って報告をすることにしました。

 

注文をしてすぐに

「じゅんに赤ちゃんができたんだ」と照れくさそうに話す夫。

 

しばらく沈黙が続く。

そんなに長くはない、本当に数秒間の沈黙だったのですが、私にはとても長く感じました。

 

え?周りのお客さんの声で聞こえなかったの?

それともやっぱり嬉しくなかったんだろうか?

 

夫も私と同じ気持ちだったのか、再度同じ言葉を繰り返しました。

 

 

・・・・・・・しばらく沈黙

 

          運ばれてきた料理を食べ始める両親・・・

 

そして口を開いた言葉、

      近所のおばちゃんの話。

           全く違う話題を話してきた義母。

 

 

・・・・・・・・・・そうか、そうなんだ・・・・・・・・・・

 

       ・・・・・・・・・喜ばれないことだったんだ・・・・・・・・

 

 

私と夫は無言で下を向いたまま料理を口に詰め込みました。

 

 

 

水虫ですか??

妊娠5ヶ月に入り明日は戌の日だからと前々から安産祈願に出かけることになっていた前日の夜、

私は、急に悪寒がし熱が出て体中が痛くなってしまいました。

次の朝になっても症状は変わらなかったのですが、ホッカイロを何枚も貼りお参りにでかけました。

妊娠してからつわりも酷く、遠出もほとんどしていなかったし少し疲れたのかもしれない。

お腹の子の事も考えて薬も服用したくないし、早めに休んで治そう!!

 

でも次の日の朝、右足の裏に違和感を感じました。

ピリピリ、かゆい。

 

急いで足の裏を見ると水泡が数個出来ているではないか!!

 

  えぇぇぇぇぇーーーーーーっっっ!!

      もしかして水虫ぃぃぃっっ???

 

 

夫が仕事に出て行くのを見送り、ソッコー皮膚科へGO!!

 

  水虫ですか?  検査をしてください!!

 

すぐに皮膚科に行き検査をしてもらうと水虫ではなくただの発疹です。とのこと。

 

ホッ。

で、でもかゆいし、水泡がさっきよりも増えたような気がする!!

 

その日の夜からさらに体調が悪くなったものの次の日は検診日だったので明日先生に診てもらえばいいか。

と思っていましたが、次の朝には自力で起き上がる事も歩く事も出来なくなりました。

 

身体中の激しい痛みに涙が出てしまい、

 

「立てない、歩けない」と夫に言うと

 

「自分で歩きなよ、なにやってんの?」とだけ言って寝室から出て行ってしまいました。

 

病院について歩けない私を夫は

 

「恥ずかしい、みっともない、ちゃんと歩きなよ」と言いました。

 

産婦人科では分からないからと今から総合病院に行くように紹介状をもらいその足で

総合病院へ向かいました。

 

総合病院に着いて玄関前で車を降ろされましたが、

腰が立たない、歩き方が変、足を一歩前に出すのがやっと。

妊婦姿の私を見て通りかかった看護師さんが慌てて車いすを持ってきて座らせてくれました。

 

私がいくら痛い、辛いと言っても、心ない言葉を言い放ち理解してくれない夫とは違ってすぐに車いすを

持ってきてくれた看護師さんが私の気持ちをわかってもらえたような気がして

 

「痛いんです、痛いんです」

 

泣きながら看護師さんに紹介状を渡してしまいました。

 

看護師さんに受付をしてもらっていると駐車場に車を停めてきた夫が来て言った言葉は

 

「車いすなんて恥ずかしい、早く下りて自分で歩きなよ」と。

 

看護婦さんは「私が押して行きますから」と言って皮膚科まで車いすを押してくれました。

 

結果、「帯状疱疹」と診断されました。

 

妊婦だったため、抗ウイルス剤の服用をやめておきましょう。と医師から言われてから治るまでの3ヶ月間は

とてもとても辛い日々が続きました。

 

 妊娠中の帯状疱疹の話はまたあとでお話しますね

じゅん

 

 

第2回目家族会議開きます

 

自分が結婚をしたら、夫の姓を名乗ることが当たり前だと思っていた私は、

なんの迷いもなく夫の姓を名乗り始めました。

 

結婚して3年ぐらいたった頃、夫が

「俺は二男だし、じゅんの姓を名乗ってもいいよ」と言ってくれた事がありました。

 

父の代で姓が途絶えてしまうことは分かっていたものの、確かに言われてみれば

私と夫が名を引き継いでもいいんだよな?と思い初め、

夫が私の旧姓を名乗ってもいいと言ってくれていると父に話すと

「気持ちはとても嬉しいよ、でもお前は一度出た身、お前が結婚した時からもうわかっていた事だからいいんだよ」

と断られてしまいました。

 

そこから2年後、私の妊娠がわかり5ヶ月に入るか入らないかの検診のエコーで男の子と判明。

私の姓を名乗ったとして、もしかしたらこの子の代まで引き継げるのではないか?

私と夫は夫の両親に、次に私の両親に再度養子縁組の話を持ちかけました。

 

両方の両親から承諾をもらった後、第二回目の家族会議を開く事にしました。

家族会議は会食をしながら始終笑いっぱなしの賑やかなまま、夫が私の両親と養子縁組をして後を継ぐという事に決まり終了しました。

 

 

 

 養子縁組の話はまたあとでお話しますね

じゅん

 

 

息子誕生

 

妊娠40週と0日を迎え、陣痛がこなかった場合は入院をして誘発剤を点滴で入れて陣痛を促しましょうと言われた朝がやってきた。

うーーーん、陣痛って初めての事だけどコレが陣痛??っていう痛みすら来なかった私は、

前から出産入院準備をしていつでも入院できるように荷造りをしていたバッグを車に積み夫と病院へ車を走らせました。

病院の玄関前、自動ドアが開くと今までの緊張から脈拍がさらに高鳴るのがわかりました。

 

陣痛誘発剤の飲み薬を服用し、点滴を1時間かけていれていく。

少しずつ少しずつ鈍い痛みが出てきました。

お昼から陣痛が来て夜中、そして朝になり子宮口も開いてきたのになかなか下りては来てくれない・・・。

痛みに耐えながらも、息子はのんびり屋さんなんだな―と思っていました。

9時の診察開始の時間に合わせて診察をしてもらう事になり、自分の番が回ってきてエコーをしてもらうと看護師さんがバタバタと走り回り、

院長先生や副院長先生がモニターの前へ集まり始めました。

 

ただごとではない??

なになに?

どうしたんだろう??

 

院長先生が一言「30分後に緊急カイザー」

 

へっ?  カイザー?  

   知らない言葉・・・だけどわかる。

       ・・・・・・多分帝王切開だよね・・・・・。

 

主治医の先生からすぐに話があり、へその緒が首に二重に巻きついていて、危険な状態だという事。 

普通分娩から帝王切開に切り替えて出産をする事。

「母子共に命を守る選択をしました。」

そう告げられました。

 

息子はのんびり屋さんだったわけではなかったのね。  息子よ、ごめんなさい!!

 

診察から1時間後、あっという間に「初めまして」と私は息子と対面する事になりました。

 

夫も親、親族、息子を囲む輪はやさしい時間が流れました。

 

あぁ、これからもっともっと幸せになろうね、たくさん笑ったり泣いたり、お出かけしたり家族で想い出をつくろうね。

 

夫とそんな会話をしていたのを覚えています。

 

 

サレ妻になりました

 

こんな幸せがずっと続くだろう。

そう思っていたのは私だけだったのでしょうか?

 

今、思い返せばなのですが2017年3月、息子が生後9か月の頃から徐々に夫の言動がおかしくなり始めました。

 

 

すでにサレ妻になっている事にも気付かずにいたワタシ。

夫の心がここにはない事にうすうす気付いていたワタシ。

少しずつ少しずつ、家族で過ごす残りの時間のカウントダウンが始まっていたことに気付かなかったワタシ。

 

 

 

寒い3月も終わり、桜が咲いた4月、

去年はお腹の中にいた息子と夫と3人で近くの公園の桜を見て、

 

「来年は、子供と一緒に桜を見ることができるんだねー!!」

って夫と二人で話しながら歩いたっけ。

 

なんて思いながら、息子が初めて見る桜は、私と息子の二人。

5月は息子と遊ぶ事も家族で出かける事もしなくなり、6月、息子の誕生日を迎える事となりました。

 

 

 

 

まとめ

 

どうでしたか?

帯状疱疹の時に見せた冷たい夫の一面も、私の実家の姓を名乗ってくれると言ってくれた優しい夫の一面も、

息子が生まれた時に見せた父親の顔をした夫の一面も全て夫なのです。

喜怒哀楽ではなくて喜怒楽々の持ち主なのかなって思います。

 

自分が喜ぶ事、楽しい事は沢山する。

自分の意にそぐわない事は小さい子供のようにカンシャクを起して物にあたる。

そしてラクな方へラクな方へ辛いことや大変なことから目を背け、楽しい方を選び進んでしまう。

自分以外の悲しんでいる人や辛い思いをしている人がいたとしても手を差し伸べず見て見ぬ振りをする。

 

自分の子供が出来ても自分一番の夫

 

次回は「今思えばコレが夫の不倫の前兆だった!!」夫の不倫につながる話をします。

 

 

 

 

 

 

 

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